日本における「同一価値労働同一賃金」問題

終わりにすると言いながら書いていますが。

同一価値労働同一賃金」という言葉があります。文字通り、同じ価値をもつ労働には、同じだけの賃金を払わなくてはいけませんよー、という原則のことです。国際的にはILO100号条約に規定されており、日本も1967年に批准しています。

けれど、日本では法律に同一価値労働同一賃金についての明文的な規定がありません。そのため、コース別人事や、正規/非正規の区別といった雇用管理区分で賃金を変えられ、実質的には同じ価値の労働をおこなっているにも関わらず、大きく賃金が異なるという問題がしばしば指摘され、訴訟にもなってきました。特に、均等法ができたときに多くの企業が導入したコース別人事が実質的な男女別賃金の温床となっているというのはよく言われることです(04年の日本労働弁護団の見解)。09年時点でも、国連女性撤廃委員会からは、雇用管理区分が女性差別の抜け穴となっており、同一価値労働同一賃金の原則が国内法規に欠けていることの問題性が指摘されています

要するに、コース別人事や、正規/非正規の区別といった雇用管理区分のせいで同一価値労働同一賃金原則がちゃんと守られておらず、それが男女別賃金や若年男性の非正規雇用拡大にともなう貧困問題を生じさせているというのは、この問題が議論されるときには割と一般的に言われることなのです。専門でない私がよく耳にするくらいですから。

ところが、「コースが違えば労働の価値が違うのが普通だから、同一価値労働同一賃金の問題はないよね」と仰る方がいらっしゃいました。

コース別採用をしている場合、異なるコースでは同一価値労働をしていないのが通常。
http://twitter.com/#!/Hideo_Ogura/status/130781207838470145

それはさすがにないわー、と思いましたので、このエントリではコース別人事のような雇用管理が同一価値労働同一賃金の原則に抵触する、いくつかの事例をご紹介しましょう。なお、この問題については、森ます美さんという研究者が集中的に研究をおこなっていて有名ですので、以下紹介するのは、彼女の研究で挙げられている事例です。なので詳しい説明については、森さんの著作をごらんになってください。

日本の性差別賃金―同一価値労働同一賃金原則の可能性

日本の性差別賃金―同一価値労働同一賃金原則の可能性


商社「兼松」の事案

兼松は均等法を契機に、「一般職/事務職」というコース制を導入しました。当初は女性を事務職に、男性を一般職に、一律に配置していましたが、後にコース転換制度を設けています。そして、このコースによって、賃金体系が大きく異なっていました。


(森 2005: 78)

これが実質的な男女別賃金体系であるとして裁判でその正当性が争われ、2008年1月31日、東京高裁はその性差別性を一部認める判決を出しました(参考解説。判決文PDFはこちら)。

この判決が重要なのは、実際にはコース間で職務内容や困難度に同質性があるにもかかわらず、賃金に格差があることの問題性を指摘していること、すなわち同一価値労働同一賃金という観点からの問題性を指摘していることです。また、コース転換制度のような見かけ上の平等性が実質的に役に立っていないことにも触れられています。


「京ガス」の事案

京ガスの事案では、女性事務職と男性監督職とのあいだでの賃金差別が争われました。京ガス側は「賃金格差は職種の差と人事考課の積み重ねの差であって、男女差別ではない」と主張していました。これに対して、森ます美さんは原告と弁護団からの依頼のもと、同一価値労働同一賃金の観点から職務評価をおこなって裁判所に意見書を提出しました。森さんは詳細に職務を数え上げ、海外のペイ・エクイティ法を参照した職務評価ファクターによって職務を点数化し、次のような職務価値の分布を作成しています*1


(森 2005: 282)

こうしてみると、実際には事務職の職務のほうが点数の高い位置に分布していることがわかります。ところが、賃金は監督職のほうが高かったのです。賃金の比と、職務の価値の比の食い違いは以下のとおりです。

【手当を除く年収】
監督職の男性 529万9950円:原告事務職女性 412万4600円 = 100:78

【職務の価値の平均】
監督職780点:事務職838点 = 100:107
(森 2005: 283)

職務の価値どおりに賃金が支払われていたら、事務職の女性のほうが賃金が高くなっていなければなりません。ところが、実際には117万円も監督職の男性のほうが賃金が高かったのです。

森さんが作成した意見書が功を奏し、この訴訟は一審京都地裁で原告勝訴。京ガスが控訴した大阪高裁でも、実質原告勝利で和解が成立しました。以下は原告女性の言葉です。

 私がこの裁判にかけた願いは、普遍的な課題として全国の女性たちの共通の思いになっています。雇用形態を問わず、私と同じように男性と同等、またはそれ以上の仕事をこなし、懸命に自己研鑽を積み上げながら企業に貢献してきた女性は数知れません。にもかかわらず女性であるというだけの低賃金は、女性の人格そのものを否定し、人間としての尊厳を踏みにじるものです。
(機関誌「いこ☆る」第7号  京ガス男女賃金差別裁判和解勝利報告 http://bit.ly/tgOvSl

「昭和シェル」の事案

昭和シェルの事案については、コース別ではなく、職能資格制度の問題点が論じられています。職務の価値でなく、あいまいな「職能」で人事考課をおこなうことが、実質的な男女差別につながるという問題です。昭和シェルの職能資格要件は次のようなものでした。


(森 2005: 87)

各等級に必要とされる要件が書かれているのですが、よく読むと、要件と職務が結びついていないことがわかります。具体的にどういう職務ができれば要件を満たすのか、よくわからないのです。したがって、この要件にもとづく人事考課は、客観的基準というより、属人的な主観や慣行にしたがったものとなってしまいます。そして、そこで実質的には性別による昇進差別がおこっていたのです。

男性社員は入社6〜8年目(標準年齢24〜26歳)に一般職のG2に、入社9〜10年目(同27〜28歳)にはG1に昇格し、G1までの職能資格等級については同一年度入社者のほとんどが同一時期に昇格している。監督企画判定職のS3Bには、早い者で入社13年目(同31歳)頃から昇格し、19年目(同37歳)までの間にほとんどの者が昇格している。
 一方、女性社員は、G3までは全員が同時期(4年目)に昇格していると推測されるが、G3からG2への昇格は、早い者(8年目2名)でも男性より遅く、昇格時期も人によってかなりのばらつき(8〜27年目)がある
(森 2005: 88)

要するに、同一価値労働同一賃金からはほど遠い、あいまいな人事考課のせいで、女性にはガラスの天井が設定されていたわけです。2003年1月の東京地裁判決では、これが男女別の基準による昇格管理と認められました(参考)。


商社のコース別賃金と年功賃金

今度は2011の論文のほうから。ペイ・エクイティ研究会がおこなった「商社の職務に関するアンケート調査」からの考察が載っています。営業職の男性42人(全員総合職)、女性77人(74人が一般職、3人が総合職)の回答から、職務価値と賃金月額がマッチングされています。


(森 2011: 67)

縦軸が月額賃金、横軸が職務価値ですね。●が女性、△が男性ですね。女性のほうが職務価値の低い領域に分布しているのがわかります。これはコースの影響でしょう。しかし、職務価値が同程度の領域でも、女性の賃金が相対的に低くなっていることもわかります。ここから、全体としては職務の価値に比べて賃金の差が大きくなっていることが指摘されています。

職務の価値の男女比 100:88 に対して賃金額の比は 100:70 と低く、女性に対して公平な賃金原資の配分が行われていない。
(森 2011: 68)

さらに言えば、男性のあいだでも、同程度の職務価値の領域で大きな賃金格差があることがわかるでしょう。これは勤続年数による効果だと説明されています(賃金額が40万円以下の男性のほとんどは勤続年数10年未満の若年層だそうです)。


(森 2011: 70)

こちらは縦軸に月額賃金、横軸に勤続年数をとった場合のグラフです。男性は勤続年数に応じて賃金が上がっていくのに対し、女性は横ばいになっている傾向がわかりますね。ここから読み取れるのは、男性に対する年功賃金と女性に対する低賃金、すなわち男性稼ぎ主モデル型の賃金体系であり、そのもとで同一価値労働同一賃金が達成されていないということなのです。

まとめ

コース別人事が同一価値労働同一賃金を阻み、男女別賃金を存続させているというのは、ある意味では当然のことです。だって均等法ができたときに、実質的に男女別賃金を維持するために導入されたのがコース別人事なのですから。頑なに男性稼ぎ主モデルを維持しようとする雇用システムに抗して、「募集と採用、配置と昇進」の差別を禁止するよう改正し、「間接差別を限定的禁止」にするよう改正し、というように、パッチワーク的に対処していっているのが、均等法改正の歴史なのです。間接差別への対応はまだ不十分だと言われています。

なお、同一価値労働同一賃金の不徹底は、正規/非正規の区別においてさらに大きな格差を生じさせます。その点については、以前にも紹介した以下の本が参考になるでしょう。

以上のように、同一価値労働同一賃金に限っても法整備がまだ十分ではなく、賃金差別の訴訟例だけでもいくつもある歴史を背負って、現在の私たちは働いています。賃金格差が問題とされているのだって、そうした歴史を踏まえて、なお解消されていない男性稼ぎ主モデルの不平等性が問題視されているからなのです。賃金格差問題は「平等な社会に自由な個人をばらまいてみたら格差が生まれました」なんていう牧歌的な問題ではないのです。この点で賃金格差問題は、「賃金格差は差別や不平等の結果ではない」と主張する側にこそ、そのことを証明する責任が負わせられるような問題です。少なくとも、ここで見てきたように同一価値労働同一賃金原則に反する差別的賃金体系が実際にあったのですから、現在の平均賃金格差の要因には同じような要素はないと主張するなら、そう主張する側に根拠を求めるのは正当なことでしょう*2



最後に、日本型の雇用システムに抗して均等法をつくるのに尽力した赤松さんの本から、83年当時均等法に反対していた日経連の主張をご紹介しておきましょう。

「平均勤続年数は男女間で明らかな差がある。男子労働者は生涯同じ企業で働くが女子はそうではない。その違いを基に企業の賃金体系、労務管理方法を組み立てている。男子は基幹労働、女子は補助労働を原則として日本の(世界に冠たる)終身雇用制度が維持されている。これを変えることは望ましくない。また男女平等に女性の待遇をあげれば人件費があがり、企業の競争力が低下する。一方女子労働者は勤労意識が低く、労働保護法規に甘えている。すべからく女子保護規定をなくすことが先決である」
(赤松 2003: 69)

「今はもう平等だ。あとは個人の選択の問題だ」と2011年に言っている人たちと、どこか似ていませんか。



均等法をつくる

均等法をつくる

*1:職務を点数化して評価するのは、同一価値労働同一賃金の遂行に効果的と言われている方法です。

*2:この問題を議論するときに、「差別や不平等の結果ではない」という事実を推定としてそれに反論する側に一方的な挙証責任を負わせようとする態度は、日本の戦争責任を論じるときに「南京事件は存在しない」という事実を推定してそれに反論する側に一方的な挙証責任を負わせるのと同じ、非科学的で常識外れのふるまいです。議論とは別の目的があるなら別ですが。