『社会学評論』の千田論文について(3): スコットランドの事例

 ここ数日のやりとり*1について千田さんがまとめられたようなので、私のほうでもまとめておきます。

 

 といっても私の主張は最初にブログで書いたことにほぼ尽きています。

 すなわち、スコットランド政府の組織内産休方針の文言において

you must be the expectant mother’s spouse or partner

という表現が

you must be the spouse or partner (including same sex partner) or*2 the pregnant woman

という表現に置き換えられたことについて、千田さんの論文のように「「母親」という言葉自体が、トランス差別であると批判さかねない」がゆえに「スコットランドでは妊娠出産政策から「母親」という単語が削除された」と理解するのは誤りだ、ということです。

 

 以下ではこの主張について少し丁寧に説明しておきます。

 

 第一に、組織内の産休方針 maternity policy を「妊娠出産政策」と訳すのは間違いです。千田さんは「政策はポリシーでしょう」と仰っていましたが、「政策」の英訳がpolicyでもpolicyの和訳として常に「政策」が正しいとは限りません。組織のprivacy policyは通常「個人情報保護政策」とは訳しませんし、何より政府の組織内方針を「政策」と訳したら政府がおこなう公共政策と区別がつかなくなります。ましてや千田さんは「スコットランドでは妊娠出産政策から・・・」と書かれており、当該方針の適用対象である政府組織にすら言及されていないのです。この文章から、「妊娠出産政策」が「政府組織内の産休方針」を指すと理解することは不可能であり、したがってこの訳は間違いです。

 

 第二に、上記の表現の置き換えはストーンウォールという人権擁護団体の多様性推進指標にスコットランド政府が従うことでおこなわれたものなのですが、千田さんはストーンウォールの働きかけの結果であることをもって「「母親」という言葉自体が、トランス差別であると批判さかねない」がゆえにその言葉が削除されたという証拠になると考えていらっしゃるようです。しかしこれも間違いです。

 ストーンウォールは当然ながらジェンダーニュートラルな言葉使いを求めているわけですが、そのことと、スコットランド政府が「母親という語をトランス差別的であると判断したがゆえに」削除したかどうかは当然論理的に別の話です。

 したがって「スコットランド政府が母親という語をトランス差別的であると判断したがゆえに削除した」という事実の根拠は未だ示されていません。なお千田さんはデイリーメールやテレグラフといった保守紙の記述を根拠として挙げてらっしゃいましたが、そもそも論文中ではそうした新聞記事を参照したことさえ記載されておらず、あたかも自明の事実であるかのように書かれていたのであり、論文における事実の提示の仕方として不適切であることも変わりありません。

 何より何度も述べているように、mother が pregnant woman に置き換えられたことを、「「母親」という語がトランス差別的だから」と理解することは困難です。mother はジェンダーニュートラルではないがゆえにトランス男性やノンバイナリーの人の妊娠を包摂するのに難のある言葉ですが、pregnant woman もまったく同じだからです。だからこそ、ストーンウォールはフィードバックの文書において「もっとジェンダーニュートラルに」とコメントしているのです。*3

 

 第三に、第一点と第二点の帰結として、千田さんの論文のこの箇所の記述はよくある「トランス差別の紋切り型」をなぞっているという私のもともとの評価が変わることはありませんでした。

 そもそも

スコットランドでは妊娠出産政策から「母親」という単語が削除された

という注は、

「母親」という言葉自体が、トランス差別であると批判さかねない

という本文についているものです。そして本文にはその後に、

政治的に正しい表現は、「子宮をもつひとが出産する」となる。

という文が続きます。

 これを読めば、「母親」という言葉自体(文脈を問わず語そのもの)が「差別」であるとされ、「政治的に正しい」語に置き換えられることが進んでいるという事態が記述されているように見えるでしょう。スコットランドの事例はこの流れの中で紹介されているのですから、あたかもスコットランドでそのようなことが起こっているかのように読者に理解させるような紹介の仕方になっているわけです。

 加えて、組織内の産休方針を「妊娠出産政策」と訳したことは、あたかも公共政策の場においてひどく乱暴なことがおこなわれているかのような印象を与えることで、事態を「より悪く」見せる効果を持ってしまっています。

 しかし実際には上に説明したように、表現の置き換えは、産休方針において組織内の性的マイノリティを包摂するという文脈でおこなわれたもので、しかも「母親という語がトランス差別的だから」おこなわれたと理解するのは難しいもので、ましてや「子宮をもつ人が出産する」などという表現などとは無関係のものだったのでした(そもそもこの表現の出典もわからないのですがどこなんでしょうね)。さらに言えば、産休制度から取りこぼされる人がないようにより包摂的な語を使おうとすることは、ある語を「差別的」だとすることとも同じではありません。

 こうして、千田さんの論文のこの部分は、「あたかもいつでもどこでも特定の言葉を使うことを禁じる言葉狩りが行なわれているかのよう」な不当なことが起こっていることをほのめかす記述になっており、しかもそれが「トランス差別」を訴える人たちによって引き起こされているかのように読めるような記述になってしまっているのです。

 

 トランス差別に反対することをことさらに理不尽なことのように描くバックラッシュ言説は千田さんが参照されている保守紙などを中心にあふれかえっています。安易にそうした言説の紋切り型をなぞるようなことをしないでください、最初から一次資料にあたってくださいというのが私からのお願いです。

 なお私の指摘に対して「ひとつの注にいつまでもこだわって」というようなことも言われていますが、今回はたまたまスコットランドの事例についての指摘を揶揄されたのでブログでの説明を敷衍しただけであって、ブログで指摘した他の箇所についてもおおむね同じような問題を感じているということも申し添えておきます。

 

*1:画像にしてくださっている方がいました。

*2:of の間違いだと思われます

*3:ちなみに千田さんが参照されているフィードバック文書は2020年のものであり、当該の変更に対する2019年のフィードバック文書ではありません。