賃金格差問題エントリへの補遺

前エントリへのたくさんのご反応ありがとうございました。ただ、ツイッターでのやりとりを前提にしていたものだったので、そちらを継続的にご覧になっていない方には文脈がわかりづらかったかもしれません。そのせいか、いくつか誤解にもとづくと思われるご反応もいただきました。

このエントリでは、もっとはっきり前エントリの趣旨を述べるとともに、お寄せいただいたご意見のいくつかにお答えすることで補遺としたいと思います。

1. なんで賃金格差の話なんぞしてたのか

前エントリでは、男性一般労働者と女性一般労働者の賃金を平均して比較したときにこれだけの差がありますよーっていうお話をしました。そして、その差をもたらす要因は主に「職階」や「勤続年数」の違いだと言われてますよーという話もしました。

で、そうすると当然、「じゃあ職階や勤続年数の違いはどうして生まれるの?」ということが気になってしまいますよね。ここから、前エントリは「職階や勤続年数の違いを生む要因は○○です」という立論を私がしたという印象を一部の方に与えてしまったのかもしれません。

でも違うんです。

私が前エントリでやろうとしたのは

男女間の賃金格差は、個人が各自の選好どおりに「働く」「働かない」という選択をした結果であるので、是正の必要はない(是正を試みることは各自の選好に踏み込むことになる=自由の侵害になるのでよくない)

という主張に対して、政府が公表している数字とその解釈についての「公式見解」を紹介することで、「その主張は無理だよ」と言うことだったのです。

賃金格差の主な要因を考えるとき、上の主張はとても強い主張です。だって、女性が結婚・出産を機に「仕事をやめる」という選択をおこなうことで勤続年数が短くなったり、女性の職階が上がっていかない(昇進しない)ことについて、そこには不平等や差別による要因はまったくない(あっても是正すべき賃金格差を生むほどではない)という主張なのですから。

それに対して私はふたつの指摘をしました。ひとつは

ということ。働き(続け)たかったのに、家事育児との両立が難しく仕事をやめた女性がいるなら、その選択は労働についての彼女の選好どおりではありません。そして圧倒的に女性にだけ家事育児負担がかかっている日本の現状では、それは実質的な機会の不平等の結果だと考えられます。

それからもうひとつは

  • 昇進差別、間接差別、統計的差別などがあるという議論がされていますよ

ということです。こっちはもうそのまんまですね。差別があるなら、格差がその結果ではないかと推測することは十分合理的です。

そして、こうした公式見解がありますよ、というだけで、「賃金格差は是正すべきではない」という主張に対する反論としては、さしあたり十分です。それでもなお「是正すべきではない」と主張する人がいるなら、そう主張する側に、職階や勤続年数の違いが不平等や差別の結果ではないことを、上記の二つの根拠に抗するくらいの強さを持つ根拠で示す責任があるはずです。なにしろ元々の主張には(「選好どおりかもしれないだろ!」という何のデータにも基づかない想定以外には)特に何の根拠もないのですから*1

以上が前エントリの論旨の説明です。以下は補遺。


2. 「それだって選好と言えないこともない」に対する注意点

ひとつ重要な注意をしておきます

たとえば「仕事をやめる」という女性の選択について、「それも選好ではないか」という形での反論がいくつかありました。uncorrelatedさんのブログがそうですし

それらの女性就業希望者は、そもそも独身生活を貫いて家事・育児を回避する事を好んでいない。また、家庭で夫か妻のどちらかが育児を行う必要があったときに、それを妻が担当することが好まれているとしか言えない。*2
(男女格差のデータは女性差別を意味するか? ─ 社会学者・小宮友根の誤診)
http://www.anlyznews.com/2011/10/blog-post_27.html

小倉弁護士のこの発言も論旨はいっしょです。

男性の底辺労働者がやむなく従事している低賃金かつ重労働を回避した結果、働きたいけど働き口がないという状態に陥っている場合、働かないことを選好していると言えないのだろうか。
http://twitter.com/#!/Hideo_Ogura/status/129377888771387392

でもこういう反論はダメです。

何がダメかというと、「働く(仕事を続ける)/働かない(仕事をやめる)」という選択肢と、「家事育児をする」「賃金が低い」「重労働だ」等々の条件を区別しないで、全部まとめて選択肢として扱ってしまっていることです。これは、頭に銃を突きつけられて「歩かなければ殺す」と言われて歩くという選択をすることを、「殺されるより歩くことを選好した」と言うようなものです。重要なのは、「歩く/歩かない」という選択に対して、「銃を突きつけられて命令される」という条件が与える影響を考えることであるはずなのに、その条件を選択肢に含めてしまったら、おこなわれたすべての選択について「それを選好した」と言うことが可能になってしまいます。これでは「選好」なんて言葉を使う意味がありません。

目下の議論について言えば、私が紹介した数字から推測される「働き(続け)たいけど、家事育児が負担でできない」という事態は、「働く(仕事を続ける)/働かない(仕事をやめる)」という選択において「選好どおりの選択ができない条件がある」ということを意味しています。本当は歩きたくないのに歩くことを選ばざるをえない条件(銃による命令)がある」というのと構造は同じです。

それに対して「いや選好どおりだ」と反論するなら、条件を選択肢に含めるのではなく、条件を吟味することでそれをおこなってもらわなければなりません(「奴は銃は空砲だと知っていたはずなので命令の影響はない」とか「実は最初から歩きたかったと言っていた」等々を示す)。女性の労働の場合は就業希望者がいる以上(その希望が実は本気ではないとかいうのでないかぎり)「選好どおりだ」と言うのはかなり難しいとは思いますけれど。

3. それでも…

小倉弁護士は前エントリをお読みになったようですが、それでもまだ賃金格差は個人の選好どおりの選択の結果だと仰りたいようです。昨日「賃金格差の要因は何だとお考えですか」としつこくお尋ねしたら、ちょろっとお考えを披露してくださいました。

強いて抽象的な話をすれば、職種やポジションによって賃金水準がばらばらであることと、女性の上昇婚志向を前提とすると、男性の側に高賃金の仕事を選択するインセンティブがより強いこと。
http://twitter.com/#!/Hideo_Ogura/status/129618582605795328

つまり、男性のほうが給料の高い仕事につこうというインセンティブがあって頑張って給料の高い仕事につくから賃金格差が生まれるんだ、というお考えのようですね。

でも、これって本当に前エントリ読んでいただけたのか、疑いたくなっちゃうようなご見解です。賃金格差の主な要因は「職階」次いで「勤続年数」ですよってご紹介したのに、何で「仕事の差」が出てくるんでしょう。

実際賃金格差の主な要因が仕事の差でないことは、年齢階級別の格差を見てみれば推測できます。2009年に厚労省が出した「男女間の賃金格差レポート」(PDF注意)にグラフがあるので見てみましょう。このレポートも前に紹介ツイートしたことがあるやつです。

(男女間の賃金格差レポート p. 3)

ごらんのとおり20-24歳階級、25-29歳階級あたりまでは、階級内での賃金格差は男性100に対して女性80を超えており、それほどでもないんです。もし「男性のほうが給料がいい仕事につく」ことが賃金格差の主要な原因なら、仕事についた段階の年齢階級からもっと格差が開くはずですよね。ところが実際には若い年齢階級では格差はそれほどでもなく、年齢階級が上がるにつれて格差がどんどん広がっていくのです。女性が途中で仕事をやめるか、あるいは勤め続けていても職階が男性と同じようには上がっていかないことで、年齢階級が上がるにつれて高い職階に占める男女の数に大きな違いが生まれていくのでしょう*3

さらに言えば、前エントリでご紹介したパンフレットを丁寧にご覧になった方はお気づきになったかもしれませんが、男女がついている仕事の産業による違いが賃金格差に影響を与えているかどうかについては、実は検討されているのです。賃金格差レポートのほうには詳しい説明つきで載っているので紹介しましょう。

(男女間の賃金格差レポート p. 2)

はい。「産業」要因は、賃金格差に対してマイナスに効いていますね。書かれているとおり、女性の比率が高くて賃金水準が高い業種があるので、業種の男女差は平均賃金格差を縮めているのです。小倉弁護士の言ってることとは、まったく逆です。

せっかく「職階」「勤続年数」ですよって紹介してあげたのだから、それくらい認めた上で議論をしてくださってもいいのに、どうしてデータのない持論にこだわり続けるのでしょう。それとも、私も政府も知らないような決定的な根拠をお持ちなのでしょうか。もしそうなら、すぐに論文にして発表すべきです。無駄な税金を使わなくてすむようになるのですから。「格差があっちゃダメですか?」って論文書いて大々的に発表したら蓮舫さんより有名になれるかもしれませんよ!

4. その他

その他いくつかあったご意見に対しても簡単におこたえしておきます。

  • 男性のブラック労働はどうでもいいってのかごるぁ!
  • 男性が主夫になれないことは無視なのね…
  • なんだ解決策はないのか

少し考えればおわかりいただけるのではないかと思うのですが、男性稼ぎ主モデルのもとで女性が労働市場への十全な参加を阻害されているのなら、逆に男性は家庭への参加を阻害されているのです。両者は裏表の現象であり、片方だけが解決することは基本的にはありません(外国人労働者に家事育児を外注するとかいうシナリオなら別ですが…)。ですから、前エントリで書いた機会の実質的平等のための取り組み(賃金体系の見直し、同一価値労働同一賃金の徹底、ワークライフバランスの推進など)はそのまま、男性が家事や育児に参加する機会を平等にしていくことにもなるでしょう。

  • ミスコン関係なくね?

前エントリの最後にちょこっと書いたこと以外は、関係ないっすね。ていうかもともと小倉弁護士がミスコン批判を批判するのに階層論持ち出してるのがおかしいのですよ。私の指摘は「ミスコン批判を批判するために女性の経済的地位に関心あるふりするのやめろ!」です。

  • やりすぎじゃね?

僕だって研究に専念したいですよ!


5. おまけ

5-1. 「今でも差別あるよ」なんて研究たくさんあるってさー(そりゃそうだよね)

私が専門外のことでぐだぐだしてるのに業を煮やしたか、本業の筒井先生から「そんな研究たくさんあるのに」というご指摘をいただきました。ご紹介しておきます。

@frroots @46yzr 賃金格差を説明した経済学の実証研究は(当然ですが)多いんですよ。たとえば経済学の論文ですが、男女の賃金格差の要因を推定した論文(goo.gl/PEqlP)
http://twitter.com/#!/sunaneko/status/129612762182721537

@frroots @46yzr 先の論文だと「男女間賃金格差については..男女の平均的な生産性の違いでは説明できない賃金格差が存在しており..この点については経済合理性から説明することは難しい」(要旨)という結論です。
http://twitter.com/#!/sunaneko/status/129612927522193409

@frroots @46yzr あとはこれ(goo.gl/33UeW)とかですかね。「労働者の属性を詳細にコントロールし... 日本の労働市 場では使用者の嗜好に基づく女性差別による女性の過少雇用が存在する。
http://twitter.com/#!/sunaneko/status/129614567654428673

差別についてもっとバリバリ統計的に専門的検討したいぜーって方は、こういう論文読んで検討なさったらいいと思いますよ!私は専門じゃないからしないけど。


5-2. 文献紹介

まず均等法について一冊。日本の伝統的な雇用システムは、男性稼ぎ主モデルのもとで、いわば男性を囲い込んで女性を排除するようなシステムでした。均等法以前は平気で女性だけ若年定年制とかありましたし。住友金属でどんなひどいことがおこなわれていたかとか、訴訟を闘った人びとの記録などを見るとわかります。読んでて胸が痛くなります。小倉さんは弁護士としてこういう歴史をどうお考えなのでしょうかね。

ともあれそういうシステムなので、均等法はそれと真っ向から対立するようなものだったわけです。ですからその制定に向けて努力した人たちの苦労は、想像するにあまりあるものです。なにしろ「均等法」っていう名前からして、「男女雇用平等法」っていう名前が通らなかった結果なんですから*4。そういう歴史を少しでも知っておくことは、大事なことかと思います。「均等法ができて平等になったじゃーん」とかのほほんと言わないために。というわけでこれ。

均等法をつくる

均等法をつくる

それから同一価値労働同一賃金については、前エントリでご紹介した森ます美さんの本に加えてこれもご紹介しておきます。

最後に、手前味噌ですが自分の本を紹介しておきます。ミスコンとも労働問題とも関係ないですが、「その選択、ほんとに自由に選ばれたもの?」という問いとは関係しています。

実践の中のジェンダー?法システムの社会学的記述

実践の中のジェンダー?法システムの社会学的記述

今回も、「それが自由な選択でないことを実証しろやごるぁ!」みたいな反応がちらほらありました。こういう問いを発する人は、ある人の選択が自由なものであるかどうか、統計データを調べればそれだけでわかると思ってるのでしょうか。

もしそうならそれは間違いです。「選好」という言葉への注意の所でも述べましたが、ある人のある選択を自由なものと我々が理解するかどうかは、その選択の条件の影響の評価にかかっています。したがって、どのような条件があるかを知っても、それだけでは自由だとか自由じゃないとか決まるわけではないのです。

たとえば専業主婦が家事育児をしていることを我々は知っています。でもそこで、家事育児が彼女が仕事をすることを妨げる「負担」となる条件かどうかの判断は、その仕事の大変さをどう評価するかに左右されます。「専業主婦って楽でいいなー」という偏見を持っている人は、家事育児をたいした負担だと評価せず「働きたかったら就職活動するはずでしょ。してないなら働かないのを選好してる!」と呑気に言うかもしれません。

そして我々は、自分がそのもとに身を置いたことのない条件については、それがどれくらい自分の選択に影響をおよぼすか、しばしば容易には想像できません。そうした場合には、条件の影響を過剰に強く/弱く見積もってしまう危険性が常にあります。とりわけ男女で大きく経験が異なる条件については、このことには注意しすぎてもしすぎることはあないでしょう。特に、女性は「どんな女性か」というステレオタイプな偏見によって「選好」を判断されてしまいがちです。だからこそ、過去には差別がありそれを訴えてきた人たちがいること、現在非労働力人口でも就業希望している女性がいること、そうした当事者たちの経験は、それなりの重みを持って受け止められなければならないと思うのです。

私の本の後半では、性犯罪事件の裁判の中で「性的自由」という概念が、いかにジェンダー化されて理解されているかを論じています。ご関心がありましたら、お近くの図書館にでもお取り寄せいただいてお手に取っていただければ幸いです(もちろんご購入いただければなお嬉しいですけども!)。

ちなみに前半では、そういう話をするための社会学の理論・方法論的な話をしています。

おしまい。

*1:久保田さんも指摘しているように、明確な差別が過去にはあり、そして現在でもなお他の先進諸国と比較して大きな賃金格差が残っている以上、差別もまだ残っているのではないかと推測するのが合理的な考えというものです。本当は「現在はもう平等だ」と主張する側に最初っから立証責任負わせたっていいくらいです。

*2:これについては「家事・育児の回避」が「独身を貫くこと」になっていたり、「妻が担当すること」を好むのは誰なのか主語がわからなかったりするという、目下の問題以前のどうしようもない問題がありますが、とりあえず置いておきます

*3:そして、格差は少し縮まっているものの、格差が生まれるこの傾向自体は、均等法制定直後の88年からずっと変わっていません。このことは、当時と同じ差別の構造が残っていると推測する有力な根拠にもなるでしょう。

*4:これとよく似た例は、実は現在でもあります。そう、「男女共同参画社会基本法」ですね。これ英語だと "gender equality law" つまり男女平等法なんですよ。ことほどさように、いまなお「平等」という言葉すら使えない社会に私たちは生きてるのです。